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【アラベスク】  第1章 春の嵐



第3節 秦鏡 [7]




「ふざけんじゃねぇよ!」
 再び叫び、美鶴に飛びかかる。
 慌てて避けようと身を(ひるがえ)すが、聡の腕に捕らえられてそのまま床へ押さえ込まれる。唇が重なる。今度は必死に逃れようと身を(よじ)る。だが聡の両腕は後頭部と背中にまわされ、美鶴を抱え込んだ。
 薄く開かれた間から舌が入り込み、激しく絡みかけてくる。美鶴の目の前が白く光り、頭が混乱する。何をされているのか、今の自分がどうなっているのか、さっぱり理解できない。

 ヤダヤダヤダッ

 息苦しさに涙が出る。ただ必死に自由な両手で聡を引き剥がそうとするが、華奢な美鶴にできるはずもない。もがく指が聡の髪に絡まり、結び目が解ける。サラリとした髪が首に落ちてくるが、聡は一向に構う様子もない。
 息苦しさが度を増す。

 何やってんのよっ! このバカッ!

 逞しい腕の中で、美鶴は急激に体力を消耗させていった。

「もう我慢できねぇ」
 ようやく離れた唇は、そのまま美鶴の細い首に当てられる。全身に鳥肌が立つ。
「美鶴、我慢できねぇよ」
「我慢って・・・」
 乱れた呼吸の間から、それだけを必死に問いかける。
「ずっと我慢してたんだぜ」
 聡の呼吸も乱れている。
「あの時だって、お前が澤村(さわむら)ってヤツに惚れてるって知った時だって、フラれて落ち込んでた時だって、俺は我慢してたんだ。お前のことが好きだったのに。好きで好きでたまんなかったのにっ!」
 聡の息遣いが首に吹きかかり、美鶴は全身が総毛立つのを感じた。声を出すことができないまま、喉だけをヒクヒクと動かしているのが、自分でもわかる。

 ヤダッ 気持ち悪いっ!

 ギュッと目を閉じると、涙が零れた。
 仰向けになった顔を伝い、耳殻を濡らす。
「好きだった。だから、お前が他の男に惚れるのも、フラれて落ち込んでるのを見るのも我慢ならなかった。でも、お前の気持ちもわかるから、だから俺は抑えたんだ」
 無理やり抑えた声は、掠れている。
「お前がいつか立ち直るまで、それまでは我慢しようと。それなのにお前は、いまだにあの男のことを引きずってる。立ち直るどころか、傷ついたまま(ひね)くれてやがる」
 押さえ込みかけた怒りが、再び湧き上がる。
「俺に何も言わずに引っ越しなんてしやがって、俺がどれだけ探したのかわかってるのかっ」
 首筋から唇を離し、美鶴の顔を睨みつける。
「俺は間違ってたのか? 俺はどうすれば良かったんだ? えぇ? どうすれば良かったんだよっ! 聞いてんのかよっ! お前にどうしてやれば良かったんだよっ!」
 まさに機関銃のようにまくし立てる。勢いに顔を背けると、無理やり上向かされる。

 ―――怖い

「挙句の果てに、俺がお前をからかってるだと? いい加減にしろよ」
 突然静かになった口調に潜む激しい怒り。美鶴は視線を反らせることができない。
 だが、この期に及んでもまだ… まだ美鶴の誇り高さが、聡への恐怖を認めたがらない。
「アンタも里奈(りな)と同じ。私をからかって楽しんでるんだ」
 聡は、目を細めた。
「そんなに言うなら教えてやるぜ。俺がどれだけ好きなのか」
 そう言うと、三度(みたび)その唇を重ねる。首元のリボンが解け、制服の上着のボタンが外れる。
 ――――っ!
 ヤダヤダッ!
 激しく(あらが)うが、すでに全身が疲労を感じ始めている。それでなくても相手は聡だ。諦めかけた美鶴の肌を、指がワンピースの上から撫でる。それは、この状況には奇妙な程に優しい。
 脇下からファスナーが下りる。そうしてブラウスを掴み上げ、その下に入り込む。
 涙が零れる。
 ヤダッ! やだよーっ!
 (てのひら)の冷たさが肌に伝わり、美鶴は目を見開き身を弾かせた。
 変態っ!
 目の前が真っ白になる。必死で唇を振り払う。
「やめっ やめろっ! ヘンタイッ!」
「お前が悪いんだぞ」
 振り払われた唇は、そのまま首筋を伝う。
「美鶴… もう我慢できねぇ」
 乱れる息遣いが狂ったように囁きかける。
「もう誰にも渡さねぇ」
 ブラウスの下に差し込まれた(てのひら)が、脇から背中へまわり下着に触れた途端、美鶴は思いっきり聡を押し退けた。
 素早く身を転がすと、聡の下から(のが)れ出た。聡が必死に掴んだ制服の上着をするりと脱ぎ去り、床を這うようにしてその場から離れる。

 自分でも、どこにそんな力があったのかわからない。

 力で負けるはずのない相手に押し退けられて、聡は半ば呆然と頭をあげた。
「美鶴…」
 解けた髪が顔や首にへばり付いている。暴れた美鶴が乱した上着はだらしなく、その顔は上気し、唇が潤んでいる。

 そんな聡を、見たことがない。
 四つん這いのまま呆けた瞳を向ける聡など、今まで見たことがない。

「…美鶴」
 艶を帯びた唇が動いた途端、美鶴は飛び上がるとそのまま玄関へ駆け出し、外へと飛び出した。

 いつの間にか、雨になっていた。それも結構激しい。

 その雨の中に夢中で飛び出した。
 後ろから聡の呼び声が聞こえたような気がしたが、振り返ることなく必死に走った。
 頭の中で、かつての親友が笑っている。

 あんたの事を大切に想う人なんて、いるワケないじゃない。

 その言葉に、男の声も重なった。
 激しい嘲笑が吹き荒れる。
 その中を、美鶴は必死に走っていた。






「えーっ!」
 思わず声をあげてしまう友の口を、美鶴は慌てて抑える。
「声大きいって」
 言われて里奈は両手で口を抑えた。そうして目だけをクリクリさせて美鶴を凝視する。美鶴は恥ずかしそうに頬を染めた。
「誰にも内緒だからねぇ」
 里奈はコクコクと首を縦に振る。そうして恐る恐る両手を外すと囁いた。
「で、いつから澤村くんのことが好きなの?」
「いつって」
 中学二年に進級した四月。新しいクラスで迎えた始業式の日。同じ教室の中で澤村を見て、一目で惚れしてしまった。
「四月…。今、もう一月だよぉ。どうしてずっと黙ってたのよぉ」
「だってぇ、恥ずかしいし、言ったからってどうなるワケでもないし」
 美鶴はさらに頬を赤らめる。
 今まで、異性に興味を持ったことなどない。もともと元気な美鶴を女扱いする男子もいなかったから、そういったモノを意識する機会に恵まれなかった。だから、自分の胸の内に現れたモノが何であるのか、理解するのにも時間がかかった。
 理解してからも、まさか自分の内にそのような感情が現れるなど思ってもみなかった為、戸惑った。
「でも、もうすぐバレンタインじゃん。今のとこ誰も彼女いなさそうだし、ここは一発がんばっちゃおうかな〜って」
 この数ヶ月、美鶴はいろいろ調べ上げた。澤村はサッカー部のエースで女子生徒にも人気があった。彼女の一人がいてもおかしくない。でも、不思議と特定の彼女がいなかった。
 告白してもダメかもしれない。みんなそう思って諦めてるのかも。だったら、先に言ったモン勝ちよね。
「へぇー、マジで(こく)るの?」
 美鶴はグッと右手で拳を作る。
「当って砕けろよ。でも… やっぱやめた方がいいかなぁ?」
「えぇ、なんで?」
「だってさぁ、やっぱ私みたいなガサツな女なんか、相手にされなさそうだもん。あんなにカッコイイんだから他にも狙ってる人いそうだしなぁ… あぁ、でもやっぱこっちから動かなかったら何も始まらないよなぁ。このままズルズルしててもどうしようもないしなぁ。ここでケジメつけたいよなぁ… あぁ、でも…」
 一人で勝手に落ち込んで励まして奮い立たせる美鶴に、里奈は呆れ気味に口を挟む。
「でもさぁ、そんなにいいかなぁ? 澤村くんって」
 一人で勝手に興奮する美鶴の横で、里奈は首を傾げる。
「カッコイイのに彼女いないなんてさ、何か問題でもあるんじゃない?」
「あるワケないじゃん!」
 飛び上がって叫ぶ美鶴に、里奈はため息をつく。何を言っても無駄なようだ。
 そんな里奈の両手をがっしり握って、美鶴は顔を近づける。
「やっぱり私、澤村くんに告るわ。だから応援してちょ」
「応援って…」
「だからぁ… 一緒にチョコ選びして欲しいのさぁ」
「それくらい自分でやんなよ」
「えぇ、里奈、アンタ友達として協力してくれないワケ?」
「そういうワケじゃなくって」
「じゃあどういうワケよー」
「別にどうってワケじゃなくって…」
「なになに? 協力できないワケでもあるワケ? あー、ひょっとして私には恋愛なんて似合わないとかって思ってるでしょうっ!」
「思ってないないっ」
「思ってるっ!」
「わー 思ってないってーっ!」
 美鶴にとって、それは初恋のようなもの。小さい頃に誰かを淡く想ったことはあったかもしれないが、恋をしていると自覚するのは初めて。だから不安でいっぱいだった。
 だが、不安を抱えたままイジイジと陰に隠れて澤村を見ているようなことはしたくなかった。とにかく、現状を打破したかった。それだけのつもりだった。
 だがやはり、澤村の言葉はキツかった。
「…… ごめん。俺、彼女いるから」
 キツかったし、美鶴は耳を疑った。
 いないはずなのに。
 誰?







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